合川小春

夏生まれです! うさぎと豆腐と本が好きです!

大雑把と几帳面が併存する人もいる【2023/9/30の日記】

先日、お土産で頂いた鳩サブレを飾ってみる。棚に鳩ぽっぽ。

 

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「小春ちゃんって細かいところで几帳面だよね」

と言われたことがある。

 

始めて言われたのは中学2年生の時、担任の先生から言われたのだっけ。

文化祭の事後学習でメッセージカードを切っていた時のことだった。

 

そのメッセージカードはもともと一枚の大きな紙に何枚か印刷されていて、カード一枚一枚、自分で切り取って使うようにと指示されていた。

殆どのクラスメイトが「切り離されてれば良くね?」みたいな感じでザクザクと切って使っていたけれど、何人かはカードの枠線に沿ってちまちまと切っていたのだ。私もその一人だった。

そういう細かいところを気にする人はクラスに何人かいたにもかかわらず、先生は私にだけなぜかそのように言ったのだった。

 

その言葉には(君は大胆そうに見えて)細かいところで(は意外にも)几帳面だよね」というニュアンスがあったように感じた。

あたしゃあ普段はよく言えば大胆に、悪く言えば大雑把に見えているってことかい。

それねー、正解。

 

 

私は自分のことを基本的には大雑把な性格だと捉えている。

几帳面と言うよりはむしろ、気にし過ぎるところがあるといった方がいいのかもしれない。

「カードを綺麗に切りたい」という気持ちよりも、「カードの端っこの余白が気になるねん」という気持ちから、一枚一枚切り離した後のカードの枠線の外側を切っていた。

強迫性みたいなものなのかな。

(そもそも何年も前に言われたことを思い返して考えているあたり、やっぱり几帳面な所があるのかもしれない。)

 

そのくせ変なところで効率を求めがちかもしれない。

先ほどのメッセージカードの件だって、最初から、大きい1枚の紙から綺麗に切り取ろうとするよりも、大まかに形を切り出した後に修正可能な細かいところを直す方が早いし楽じゃないですか。

だから「ぱっと見は大雑把、ヘンなところで几帳面」に見られるのかも。

 

それだけに初めから丁寧に綺麗に作業できる人を見ると「すげ~」と思うと同時に、自分の不甲斐なさを実感して勝手に落ち込んでしまう。

相手が100点を1回で仕上げているとすれば、自分は80点を一度出して、そこから100点に近づけていく感じ。

時間があるときならともかく、時間がない時だと85点、よくて90点くらいで提出せざるを得ないから、余計に自分の完成品と他の人の出来栄えを比較してガッカリしてしまう。

1回で決めなければいけない場面と、細部を修正できる・してもよい場面の見極めが難しいのかもしれない。

 

あるいは、知らず知らずのうちにその物事にどれくらいの手間がかかるのかを計算していて、その上でそれにかける労力を惜しがってしまっているのかも。

「大して結果が変わらないなら、より簡単にできて負担の少ない方法を取ろう」という

風に、無意識のうちに負わなくてもいい負担を避けているのかもしれない。

 

 

たとえば。

レンジで肉まんを温めるときに、「600ワット50秒 500ワット1分」みたいな説明をされると、「600ワット1分」でチンしちゃう。

50秒だと10秒ボタンを5回押さなければいけないけれど、1分なら1分ボタンを1回押せばいいだけなので、効率的だ(と思う)。

もっと言うと我が家のレンジは、500ワットは600ワットの次にあるので(つまり600ワットボタンを2回押す必要があるので)、600ワットで温めた方がボタンを押す回数が1回で済むのだ。

 

今朝突然そのことに思い当たり、今までの自分のアバウトさ・いい加減さを実感した。同時に「なんて自分はものぐさなんだ」とも思った。

そこで今朝は初めから100点をたたき出せるように、肉まんの表記に従い「600ワット50秒」で温めてみることにした。10秒早いし。

こんなにレンジのボタンを連打したのは久しぶりだ。

一瞬めんどくせえなあと思ったけれど、私が一方的に劣等感を抱いている「初めから丁寧にかつ正確に作業できる人たち」に近づけたようで少し嬉しかった。

 

50秒後。ワクワクして取り出した肉まんは、まだ真ん中が冷たかった。

『ご利用のレンジの機種によっては温め時間が変化することがあるかもしれません』

パッケージに申し訳程度に書かれている一文を見て、脱力した。

結局、追加で20秒チンした(600ワット)。

肉まんはお皿がもてないほどホカホカになっていた。

 

 

結局今までの自分の勘を信じて、適当にチンしたほうが早いのかもしれない。

適当でええねん。もう知らん。ウチそういうのいいんで、大丈夫でーす。

そういう結論に至ってしまうあたり、やっぱり自分は大雑把な性格なのだなと改めて感じた、秋の日の朝なのであった。